IkebanaPunk!

「いけばな」と「ヒップホップダンスユニット」とのコラボ他,通常じゃありえない変態華道家の戯言。メインブログはアメブロで,こちらは気になるブログがあったので登録したついでに,リンクを貼ってみました。

金魚放流イベント?

ちょっと気になったんで,シリーズ以外に久しぶりに書きます。
大阪府泉佐野市の犬鳴山の渓流で30年以上実施されている「金魚の放流」イベント。
ネットでは環境破壊につながると,例によって薄っぺらな自分は良い子ちゃんでもの知ってるもんねな連中が攻めたてて中止に追い込んでるとか?
まあ,イベントを運営している市の担当者は,これまで環境への影響は考えたことがなかったと言ってるんで,どっちもどっちのレベルかなとは思います。
お役所仕事だから,毎年やってるから,今年もするのが当たり前みたいなとこあるんでしょう。
それに予算出ちゃってるから使わないとマズいし。
大阪府環境農林水産部水産課は「法律に触れるものではないが,いいとはいえない」と指摘してるそうな?
外来魚以外は,放流禁止にする決まりはないんで,問い合わせる方も,コンプライアンス系の問題に巻き込まれたくないから,問い合わせてるだけだとは思うんですがねえ。
その河川の生き物でないものを放流したら,環境壊すことくらいは普通の大人なら分かりそうもんですが,さすがお役所?
近畿大の大学教授の発言を一部抜粋して載せておきますが,
「供への環境教育の視点からも問題で、自然を保護することを教えるべきなのに真逆のことを示している。生物多様性保全が重視される今、時代遅れの感覚だ」
もっともな意見ですが,これちゃんと教授の発言を一字一句正確に書いてるのかな?
実は,ひっかかったのは,「真逆」ってとこ。
これ,最近できた言い方で,一部では間違った表現とまで言われてるのに,
この先生,軽々しく使ってますねえ。
私はブログを読んでいただいている方なら,ご存じだとは思いますが,勝手に造語作って書いちゃう派なんで,気にしませんし,おそらく「真逆」という言葉もこのように頻繁に使われている状況からして,ほどなくして普通の言葉になるかと思います。
ただ,学生ならいざ知らず,ある程度の地位にある方も,最近では使うの早いなあ?というのが実感です。
これもおそらくネットやマスコミの情報伝達スピードの増加によるもんなんでしょう。
おっと,またまた話が横道に逸れてしまいました。
ネットでいくつか関連のニュースを読んでみましたが,書いてあることは同じものばかり。
今回のニュース,実は非常に興味深いことがあるんです。
前述したように,このイベント,もう30年も続けてるワケで,その間はずっと環境を破壊してきたんです。
なのに,大学の先生も,水産課の人たちも大事にとこい気が付いてない?
ここ1,2年じゃないんです。
30年ですよ。
金魚の放流と関連付けられる環境破壊がどれくらいあったのかを調べるべきだと思うんです。
そのいい機会かなと。
過ぎたことは仕方ありませんが,それならこの機会は活かすべきです。
でも,きっとやらないんだろうなあ?
まあ,金魚の放流なんで,他の環境破壊と比べたら微々たるもんで,調べても分からない可能性高いかなとは思うんですけどね。
所詮,人間なんて環境は課しないと生きていけない生き物ですからねえ。
ネットで中止に追い込んだ人間も私も,もしかしたら,金魚の放流より,よっぽど環境破壊してるかもしれません。
ちなみに,私もかれこれ30年くらい,相手は違えど不倫してますが,かえって家庭にはいい影響与えてるような?
って,一番調べるべきは,そっちだろ!

死のガーデニング

イキナリ,不吉かつ物騒過ぎるタイトルだろ!

しかも,また予告無視して,全く違う内容だし!

なんとなく書きたかったってことで,こちらを優先しました。

次回こそ,地震の予言について。

殆どが外れたようなんで,心置きなく書けます。

それが,他のブログと違うところでもあるんで。

オカルト的に書いたり,煽るのは趣味じゃないし。

んなワケで,本題です。

もうガーデニングなんて言葉が流行ってずいぶん勃ちました。

ここは,下ネタいらんところやろ!

ガーデニングと書きましたが,広い意味でのもので,種を蒔いたり,花を植えて育てる。

そういったもんの総称として,今回は使ってます。

私はカミさんが欲しいといったり,誰かから頼まれたりしない限りは,種はまかないし,花を植えることは,ほぼありません。

もちろん,鉢植えも買うことはないです。

これには,理由があります。

私がいつも書いているように,華道家は結果として花を殺しています。

どんなもっともらしい理屈をつけようと,これだけは否定できない事実です。

まあ,殆どの華道家は,相も変わらず屁理屈こねくりまわしてますが・・・。

お前は開き直ってるだけだけどな!

で,鉢植えを使った作品なら,切り花ではないし,別ではないかと思ってる方もいるかと思います。

しかし,私の中では違います。

では,ここで皆さんに一つ,質問。

皆さんが種を蒔いたり,花を植えたりする理由はなんですか?

きっと,そこに大きな花を咲かせるのが楽しみで,その姿を見たいからだと思います。

私が華道家として,作品を作ることだけに情熱を傾けていた若い頃,よく庭先にも部屋にも,育てている植物がたくさんありました。

でもね,これ,花が育つことを楽しみにしてたワケじゃありません。

育ってからの,花を切り,枝を切り,茎を切り,自分の作品に使うことを考えていたんです。

いや,殺すために育てていたと言ったほうが正確だと思います。

華道家は,バンバン花殺して,なんぼの職業ですからねえ。

って,お前はゴルゴ13か!

SF小説なんかでは,自分の臓器のスペアにクローン人間を育てるなんてのもあったりしますが,己の為だけに命を育てるワケで感覚的には似たようなところがあるかもしれません。

私が見ていたのは,綺麗に咲いた花ではなく,その花を使って作った自分の作品でした。

よくこういう話しをすると,養殖の魚やブロイラーの飼育と変わらないじゃないかと言われたりします。

しかし,これらは生きるために食するのであって,自らの力を誇示したり,自己満足のために生けるわけではありません。

私はいつも,自分の作品に使うことだけを前提に考えてニヤニヤしてましたからねえ。

お前は変態か!

そうに決まってんだろ!

否定せんのかい!

いやー,ホント,ロクなもんじゃないです。

中には,鉢物のまま,切らずに作品にすればいいのでは,という声もありますが,根をつけたままでは,表現は限られてしまい自分のイメージに合ったものは作れません。

切って刻んで,折って折曲げ,自分のイメージに合わせて花を弄ぶ。

これが,華道家のDAIGOです。

お前は品川グランドプリンスホテル新高輪」飛天の間で結婚式を挙げた芸能人かよ!

うぃっしゅ!

それをいうなら,醍醐味だろ!

どっちにしろ,とんでもねえ快楽の得方だろ!

正直なとこ,まだこの感覚は浸み付いたままなんです。

一度鋏を置いてからは,イメージトレーニングというか頭の中で作品を仕上げる癖が一時かなり強くなっていた時期があったくらいです。

もう,片っ端から,あの花を切って作品にしたい!みたいな禁断症状ありました。

生きた花を生けないと決めたクセにこれですからねえ。

華道家というヤツは,ホント業の深い生き物です。

最近は,花を見ても,ここまでの禁断症状はありません。

ただ,大好物の女子大生を見ると・・・。

って,お前は何を考えてるんだよ!

箸を持つ手?

世の中,シルバーウイークなるもんがあるそうですが,なぜか,その実感ゼロの花命萬請負人です。

いやー,ブログも久しぶり。

んなワケで,本題イキます。

先日,外食中に耳に飛び込んで来た何気ない会話から,頭の中が幼稚園時代へタイムトリップ。

それは母親が子供に対して言った一言。

「お箸を持つ方の手が右手」

この言葉,幼稚で先生から聞いたことが・・・。

「お箸を持つ方の手が右手,お茶碗を持つ手が左手」

まさに右利き社会を象徴するような,お言葉。

でも私,サウスポーなんです。

これにマジで混乱してました。

この言葉を,その通りに理解してたんですねえ。

つまり,私にとっての右手は,他の人とは違うと。

なんせ,基準が「箸を持つ手」ですから。

子供の考えなんて,そんなもんです。

ちょっと話しは違いますが,私の世代にはあった色鉛筆やクレヨンなんかの「肌色」ってヤツは現在はないそうです。

これは,肌の色は一つではなく,いろんな肌の色があるからだそうで。

色んな人種が存在してますから,ごもっとも。

まあ,私はたまに正座したまま顔色が蒼くなってることがあるんで,日本人でも肌の色はまちまちです。

って,それは浮気がバレて,カミさんに怒られてる時だろ!

ちょっと気になって調べてみたら,な,なんと,肌色だけのクレヨンとかあるんですねえ。

それも24色。

しかし,これ,どういうシチュエーションで使うもん?

アイディアは買いますが,ちょっと意味不明?

私なら,全て白のカルピスで,味違いを出したいですねえ。

例えば,苦いのとか,すっぱいのとか・・・。

って,どこから出てくるカルピスだよ!

肌色の問題には気がついたようですが,箸を持つ手については,現在はどうなんだろ?

未だに同じ説明がまかり通っているのでしょうか?

日本の未来を担っている子供たちに,ワケの分からん教え方だけはしてもらいたくありません。

特に,キナ臭い法案が通ってしまうご時世。

箸を持つ手から,銃を持つ手に置き換える輩がでないとも限りません。

断じて,それだけは避けなければなりません。

ちなみに,私がTENGAを持つ手は右です。

って,最後に,その1行,必要なのか?